上盤渓神社は、社号額も無く本当にここが上盤渓神社であっているのかどうか、わからないという状態にさせてくれる神社です。
元々、盤渓地域には「盤渓神社」と「上盤渓神社」がありましたが、今は「上盤渓神社」だけとなっています。
そんな、ちょっと由緒がよくわからない上盤渓神社に参拝にいってきました。
上盤渓神社には以前は橋があった
上盤渓神社は道道82号線沿いから少しだけ奥に入ったところに鎮座しています。
神社の前には盤渓川という小さな川が流れていますが、以前はこの川の上に橋がかかっていて、道道82号線からすぐに境内に入れるようになっていましたが、危険と判断されたためか、川の上にあった橋は撤去されています。
上記の写真は上盤渓神社の社殿の前から撮影したものですが、昔はこの鳥居の前に橋があったそうです。
上盤渓神社の境内の様子
川沿いを少し歩いてくると上盤渓神社が見えてきます。
手水鉢はありますが水は出ている様子はありませんでした。
奉納された方の名前が「瀬戸 聡」さんとなっています。ここポイントです。
鳥居もあって社殿もきちんとある神社ですが、社号額がどこにも見当たりません。
そのため、ここが上盤渓神社かどうかという確証が持てず「盤渓神社」という人もいて、よくわからない状況になっています。
さっぽろ文庫39「札幌の寺社」には下記のように書かれています。
昭和51年10月30日、瀬戸順吉氏らを代表とする部落有志により創祀・北海道神宮分霊を奉還。
ここで手水舎を奉納された方の名前を思い出してください。手水鉢を奉納された方の名前は「瀬戸 聡」氏です。上盤渓神社を作った代表者の瀬戸順吉氏と同じ名字なので、瀬戸順吉氏と親類関係にあることが予想出来ます。
小さな集落なので、同じ名字なら家族もしくは親戚だと考えるのが自然でしょう。
社殿の前にたち10段ちょっとの階段を上り参拝です。
鈴を鳴らし二拝二拍手一拝で参拝しました。
盤渓神社?上盤渓神社?
盤渓エリアにはかつて盤渓神社があったとされています。
さっぽろ文庫39「札幌の寺社」には下記のように書かれています。
祭神 天照大神・稲荷神
沿革、明治40年9月、部落開拓人が山上に開国の主神天照大神を祭る神標を建て、毎年9月感謝の集会を開いた。同年、小長谷剛太郎氏の祠の造営寄進あり、さらに大正11年琴似本町米屋甚吉氏の守護神稲荷神を合祀、安置のうえ、盤之沢神社と称し部落の守護神とした。昭和7年から隣接の小別沢部落民も氏子となった。昭和12年新築と同時に盤渓神社と改称した。
戦前に盤渓神社は社殿を新築したものの、上盤渓神社が作られた昭和51年の前には築40年ほどが経過しており、かなり老朽化されていたと推測出来ます。
また道路の拡張工事等もあり、それなら神社を移動させて新しい社殿を作ってしまった方が良いのでは?という言う人が集落にいて、その結果、集落で神社を移転させた際に盤渓川の川上になる場所なので上盤渓神社としたのでは?と思うのです。
その際にそれなら北海道神宮の御祭神を祀った方が良いのでは?という声があがり御祭神も変更したのかな?と考えます。
事実はわかりませんが、もしご存知の方がいましたら是非お教えください。
以上、上盤渓神社についてでした。
- 住所:北海道札幌市中央区盤渓
- TEL:なし
- 御朱印:なし
- 参拝可能時間:24時間
- 社務所受付時間:社務所なし